61日目 6月 9日 (月)

7:40 起床。 曇り。少し雲の切れ間も有る。

道の駅「高千穂」の多目的公衆トイレで、大便。

8::10 道の駅「高千穂」の前の、国道218号線を挟んだ、向かい側の「第二駐車場」へ移動。

寝具整理。 消毒用霧吹きのノズルが外れていたのを、瞬間接着剤でくっ付け修理。

9:05 一昨日購入したチョコスティックパンを食べる。

10:40 日は差してはいないが、雲の切れ間が少しだけ多く成った。

梅雨時期だからぜいたくは言えない、雨が降り出さないだけでも嬉しい。

車の窓を開けていると、心地よい風が吹き抜ける。

時折、タンポポの種が、車内を散歩して、叉窓から去って行く。

私には、夏の日差しの、刺すような暑さによりか、この様な天気が良いのかも。

11:20 「ホーホケキョ」と鶯の鳴き声が聞こえるが、私は鼻毛を抜いていた。

11:35 道の駅「高千穂」第二駐車場から昼食を取りに行く。

一旦、道の駅「高千穂」前の国道218号線を西へ3分程行くも、何もないので「三原尾野葉橋」(ミハラオノハシ)へ左折し渡り、車を方向転換して引き返す。

因みに、この橋は西臼杵郡高千穂町押方で、「二上山」「女岳」「男岳」方面行く、六峰海道へ通じる道の入り口。

12:00 「ほっともっと」高千穂店にて、ハンバーグカレー弁当を購入。690円。

12:10 西臼杵郡高千穂町三田井の「ENEOS」小手川石油にて給油。5,85リットル。 クレジット1000円。

12:15 道の駅「高千穂」に。

12:20 手を洗い、ハンバーグカレー弁当を食べる。

12:30 ブログ書き込。

12:50 小雨がぱらつく。窓を閉めると、風通し悪く蒸し暑い。

しかし、直ぐに止む。 

15:10 道の駅「高千穂」の公衆トイレで大便。

15:35 同多目的トイレで、ギャレーの水の交換。

16:25 雲行き少し怪しいが、「天岩戸神社」へ行って見る事に。

16:30 「Aコープ」高千穂店にて買い物。

アクエリアスビタミン、スプライト、麦茶、明治チョコレートミニサイズ詰め合わせ、カットパイン、リンゴパン、薩摩芋スティック、ヨーグルト。1068円。

同駐車場にて、カットパイン、薩摩芋スティック、ヨーグルト、黒ゴマ米煎餅(1小袋)、アクエリアスビタミン、グラノーラ(一口)、を食べる。

17:10 再出発。

17:15高千穂町大字三田井に有る「槵触神社」(クシフルジンジャ)に到着。

大きな鳥居を潜り、7段、12段、41段、64段と石段がを上り本殿が。

41段の石段を上った所の右手側に、屋根の有る土俵があった。

17:50 槵触神社の近くに有る「天真名井」(アマノマナイ)を見る。

天真名井は神々がお使いになる尊い水です。天真名井は、天孫降臨の神話に基づく地名です。高天原をお治めになっていた天照大野神は、御孫ニニギノミコトに「葦原(あしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、わが子孫が王となるべく国である。皇孫の貴方が行って治めなさい。さあ行きなさい。宝祚(あまひつぎ)の栄えることは、天地とともに極まりないであろう」といわれ、八咫(やた)の鏡、草薙の剣、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の三種の神器(じんき)を与えて、葦原の中国(なかつくに)に降臨するように命じられました。大神は尊に、天児屋命(あめのこやねのみこと)、太玉命(ふとたまのみこと)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)、石凝姥命(いしこりどめのみこと)、玉屋命(たまやのみこと)の他、諸々の神たちを配して付き従わされました。そして尊は、筑紫の日向の高千穂のくし觸岳に降臨されました。ところがこの地には良い水が無かったので、尊は天村雲命(あめのむらくものみこと)に高天原に上がって水の種を貰ってくるように申されました。天村雲命は天照大神から水の種を三つ貰ってこられ、そのうちの一つを?觸峰西方の藤岡山の麓、神代川(じんだいがわ)ほとりの置かれました。他の二つは、丹波の国(京都と兵庫県の一部)の予佐宮と伊勢国(三重県)の高佐山に置かれました。真名井の水は、神々がお使いになる尊い水であるとされています。高千穂・?觸神社の両社祭典のときは、御神幸の御旅所になっていて、神事に使用する各種の器具は、真名井の水で清め、又は真名井の森のかずらを水で清めて作った輪に通して使用する慣わしがあるといいます。神代川のほとりの真名井からは、今も岩間から清水がこんこんと湧き出ています。この清水は地下水になり、約1.5km南西の高千穂鏡で再び地上に現れる(「玉垂(たまたる)の滝」か)と言われています。ケヤキの巨樹は真名井の泉の真上にあって、根が泉を包み込むようです。幹にはいつもしめ縄が張られ、水神様として人々の厚い信仰を受けています。この小さな森には、他にも幹周り460と400cmのケヤキやカヤ・カゴノキなどの樹木が生い茂っています。

その近くには、「夜鳴き石」がある。

直径約1メートル、高さ約70センチ程の石が、祀られてある。

近所の人に伺うと、夜、石から鳴き声がする訳では無く、夜鳴きする子供連れ石にお参りすれば、夜鳴きが収まると伝えられる石。

余談だが、その場所には、公共の小さな橋が掛かっており、直ぐ奥に民家が有る。

その民家の方は、車を自宅の車庫に入れる時、橋の手前の公園で車を後ろ向きにし、バックで橋を渡り自宅の駐車場に入れていた。

18:10 次へ

槵触神社の前の通りを、国道218号線方向へ行き、直ぐ短いトンネルを抜ける。

国道218号線との「馬門交差点」から、道は県道7号線に成る。

県道7号線から、眺めの良い高台の、少し蛇行した道を8キロメートルほど行くと、高千穂町大字岩戸に「天岩戸神社」が有る。

18:20 「天岩戸神社」に到着。

信じゃ鳥居前の駐車場に車を止め、徒歩で参道を。

神社は渓谷沿いに有り、鳥居の前には多少のお土産屋などが有る。

参道は砂利道で、渓谷と平行して伸びている。

鳥居を潜り北東に約100メートル程歩くと、右手側に渓谷を背にした本殿が有り、左脇に本殿の方を向いて、神楽殿が有る。

お賽銭10円を納めお参り。

東西両本宮は元来は独立した別の社であった。ともに皇祖神天照大神を祀るとはいえ、創祀以来皇室や朝廷からではなく、在地住民からの信仰を主としている。

 
天岩戸神社西本宮

天岩戸神社西本宮は創祀の時代を詳かにしないものの、岩窟(天岩戸)を神体とするのは、古くからの信仰形態を示すものであるとされる。社伝によれば、瓊瓊杵尊が天岩戸の故事を偲び、その古跡に鎮祭したのが起源であり、弘仁3年(812年)に大神惟基によって再興されたが、戦国時代にたびたび焼失したという。元禄4(1691)年にまとめられた寺社明細記録『高千穂旧記』[2]には「天ノ岩戸」についての記述の中に「拝殿有、四方見通に建たり、前ニ鳥居有」とあるのみで神社としては記載されておらず、簡素な遥拝所としての造りであったと考えられる。その後棟札によると、宝永4年(1707年)に荒廃した社地を整地し、文政4年(1821年)には延岡藩主の援助で社殿を再建したという。 天保8年(1837年)にこの地を訪れた松浦武四郎が紀行文(『西海雑志』[2])に記した「道の傍に二間に四間の遥拝所あり」がそれを指していると考えられる。天保12(1841)年にこの地を訪れた豊後の医師賀来飛霞はその紀行文(『南遊日記』[3])に、「殿アリ扁シテ(扁額に)天磐戸ト書ス」と記している。『日向地誌』[1]でも、明治4年(1871年)に「天磐戸神社」と改称されるまでの旧称は「天磐戸」(神社とは書かれていない)としている。明治6年(1873年)村社に列し、同30年に社殿の造営が行われた。また明治24年に旧岩戸村の村社神楽尾神社、同42年に旧山裏村の杉圍(杉ケ越)神社や旧岩戸村の年神社など、明治以降近在の村社や無格社を合祀している。

 
天岩戸神社東本宮

同東本宮も創祀時代不明で、昌泰年間(898-901年)の古記録に、思兼神が天岩戸より出御した天照皇大神に、東本宮の地に造営した社殿への鎮座を願ったのに創まるという。その後の由緒も詳らかにしえないが、前述の元禄4(1691)年『高千穂旧記』[2]の寺社一覧表の中に「岩社 岩神」(岩神はこの付近の地名)とあり、これが当時の東本宮を指すと考えられる。参道に現存する石灯籠には天保11(1840)年と刻まれている。前述の賀来飛霞は、たまたま行き当たった秋祭りの様子とともに「土人ニ問ヘバ天磐戸大明神ナリト、石磴(石段)ヲ登リテ、茅檐(かやぶき)ノ祠アリ。祠ノ中ニ二神輿アリ。」などと記している(『南遊日記』[3])。『日向地誌』[1]によると、明治4年(1871年)に「氏神社」と改称されるまでの旧称は「氏社」であった。明治6年に村社に列した。

両社ともに戦後は神社本庁に所属し、昭和45年に合併、現在は別表神社に指定されている。

現在、社務所は西本宮に置かれ、参拝客の多くが訪れるのも西本宮である。しかしながら歴史的に見た場合、前述の通り西本宮は神社というより天岩戸を拝むための遥拝所としての性格が強かったことは明らかであり、信仰の中心はむしろ天照皇大神を祀って来た東本宮であったと考えられる。

参拝後、一旦参道に戻りさらに奥の向こうには「天安河原」(アマノヤスカワラ)が有る。

天安河原へ向かうには、本殿から一旦参道に戻りさらに奥の方へ行き、奥の小さな鳥居を潜り県道7号線に出る。

県道7号線を北東に約50メートル程歩くと、案内立札と共に、右手側へ天安河原へ通じる、遊歩道入り口が有る。

坂道を下り、右回りの階段を下りると、渓谷が見えてくる。

左手高く岩肌の崖下の渓谷沿い遊歩道を歩いて行くと、アーチ状の橋を渡り更に進む。

県道7号線からは、10分程歩くと洞窟が見えてきた。

洞窟には、無数の積石が有り、15メートル程奥に御堂が有る、

10円のお賽銭を納めお参りを。

洞窟の奥が気に成り、御堂の裏側を見て見たが、それ以上奥は無かった。

来た道を戻る。

19:10 ブログ書き込。

辺りはすっかり暗くなる。

20:25 天岩戸神社を離れる。

本殿と少し離れている、天岩戸神社東本宮入り口の「鈿女」の像も見る。

近づくと、センサーで像がゆっくりと回転する。少し驚く。

20:40 帰路に。来た道を戻る。

20:45 道路の案内標識を見ると、「天岩戸温泉」と表示が有ったので、今日は丁度お風呂に入りたかったので行く事に。

県道7号線の、信号の交差点を西に右折し、右にカーブする坂道を交差点から約600メートル上り、天岩戸温泉案内標識を左折。

20:50 更に坂道を約300メートル上ると「天岩戸温泉」に到着。

着替えやタオル髭剃りの入ったスポーツナップサックを持って入館。

入浴料、350円を券売機に投入し、出てきた券を受付へ。

お風呂は、二つで、大きい浴槽と、珍しい畳み3畳ほどの大きさで、湯船の深さ約10センチの浴槽が有ること。

大きい浴槽に肩まで浸かった後、試しに入って?見た。

入ると言っても、座るとお尻の半分ほどしか浸かれない。

只、大きいお風呂に使った後、熱った体を覚ますには丁度良いのかも。

他にサウナと小さい水風呂が有る。

お湯の温度は、40度くらいの普通の温度で、私にしてみればもう少しぬるくても良かった。

空腹でもあったので、長湯はせずに上がる。

着替えを済ませ、給水機で水を飲み退館。

21:25 ブログを書き込、帰路に。

21:58 ブログ書き終るが、小雨がぱらつく。

22:08 昨夜も利用した高千穂町大字三田井の「ジョイフル」高千穂店へ。

22:30 食べ終わり外に出ると、雨は強くなっていた。

22:35 雨が強くなった時の事を考へ、帰路の途中に有る雨宿りの出来る町民体育館に寄る。

立小便をし、今度は、高千穂神社に向かう。

22:45 高千穂神社駐車場に。

同駐車場多目的トイレにて足洗い。

22:55 歯磨き。 テレビ鑑賞。 泊。